2005年11月2日 三十三間堂など

11月に入り、秋も本番。4月と並んで、京都へ行くには一番良い時期です。
その第一弾として、まずは三十三間堂へ。
この日の目的地は三十三間堂のみで、後は地図を見ながら適当に歩きました。




梅田から乗った阪急電車が窓の広い最新型だったので、途中の風景を撮ることができました。
これは茨木市にあるエレベーターの会社、『フジテック』の大阪製作所。
煙突のように見えますが、エレベーター用の試験塔です。
現在は滋賀県に本社が移転したので、この塔は使われていない模様。
サントリー山崎蒸留所。
八幡の桜がある所からでは遙か遠くにしか見えませんが、JRや阪急電車からなら近くに見ることができます。
桂川を通過する時に、ちょうど『京都八幡木津自転車道』の上を通りました。
嵐山から45kmに渡って続くこの自転車道には個人的に色々と思い入れがありますが、語り始めるとキリがないので以下略。
京都に着いて三十三間堂に向かって歩いている途中に撮った空。
三十三間堂の最寄り駅は京阪電車の七条駅なので、私のように阪急電車を使った場合は乗り換える必要があります。
七条駅から5〜6分ほど歩くと三十三間堂に着きます。
すぐ向かい側には京都国立博物館が建っているので、迷うことは無いでしょう。
拝観料は大人一人600円です。
三十三間堂の正式名称は『蓮華王院本堂』。
1165年に建てられて1249年に火災で焼失し、1266年に再建されたものが今も残っています。
ちなみに柱と柱の間が33あるので、三十三間堂と呼ばれています。
三十三間堂はあまりにも長い(全長120メートル)ので、全景を撮るのはかなり困難です。
これは東側から撮影したもの。
こちら側が正面みたいです。
こちらは西側から撮影した三十三間堂の裏側(?)。
江戸時代には、この場所の軒下で120メートルの距離を弓で射通す『通し矢』が行なわれ、24時間での最高記録は13053本撃って命中が8133本となっており、約7秒に一本のペースで矢を撃ち続けて、その命中率は約62パーセントという計算になります。
何という体力と技術と精神力の持ち主……。
今なら間違いなくオリンピック級の選手でしょう。
三十三間堂の紅葉。
11月に入ったばかりなので、まだまだ色づきは控えめです。
これは三十三間堂の南大門。
三十三間堂の中は全面的に撮影禁止なので、ここで紹介できる写真は少ないです。
本尊の千手観音、1001体もの観音像、そして風神・雷神と観音二十八部衆の仏像の姿は、ぜひとも実際にここを訪れて、その目に焼き付けてください。
三十三間堂の後、適当に歩いていたら智積院(ちしゃくいん)に辿り着きました。
智積院の起源はかなり複雑なので、その説明はこちら→(Wikipedia)に譲ります。

とりあえず中に入るだけなら無料で、庭園などを見るのは有料(大人一人500円)です。
智積院の門と青空。
智積院の金堂。
弘法大師生誕1200年を記念して建てられました。
三十三間堂から北に300メートルほどの所には、『豊国神社』(とよくにじんじゃ)があります。
豊臣秀吉を祀っていたため江戸時代に取り壊されましたが、明治時代に再興されました。
本殿の手前にある国宝の『唐門』(からもん)。
元々は伏見城の城門だったそうです。

この後、できれば豊臣秀吉が埋葬されている『豊国廟』(ほうこくびょう)にも行きたかったのですが、その途中で予期せぬアクシデントが発生したため(笑)、今回は断念せざるを得ませんでした……。
豊国神社のすぐ隣には『方広寺』(ほうこうじ)があって、そこには豊臣家滅亡のきっかけになったとされる『国家安康の鐘』が今も残っています。
鐘は近くで見られますが、銘文をはっきり写すには少し遠かったので……。
その問題の銘文を望遠レンズで撮影。
遙か遠くの物を撮ること以外に望遠レンズが役に立ったのは、この時が初めてでした。
最後は鴨川沿いを阪急河原町駅に向かって歩きました。
写真のカルガモや、その他様々な鳥が多数見受けられます。
運良く水の中に頭を突っ込んでエサを取る瞬間を写せました。
上流へと向かうカルガモの一団。
エサを探しに行くのか、寝床へと帰るのか?
私もそろそろ帰ることにしましょう。
鴨川の秋の夕暮れ。
今日は最初から最後まで良い空を見ることができました。




     

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