2007年6月4日 高野山(後編)

高野山は奥の院だけでも相当な広さで、見て回るのに相当な時間を要します。
全てを見ようと思ったら、日帰りでは時間が足りないかも……。




奥の院には名だたる戦国大名の墓や供養塔がたくさんあります。
これは豊臣家の墓所。
伊達政宗の墓。
この前には石造りの鳥居が建っています。
武田信玄・勝頼の墓。
この他にも織田信長・明智光秀・石田三成・大岡家(大岡越前)・曾我兄弟・南海電鉄創業者である松本重太郎などの墓や供養塔があります。
かつて弘法大師がここに座って休息を取っていたと言われる『腰かけ石』。

この後は一の橋まで歩いて、そこからバスに乗って金剛峯寺へと向かいました。
ここが高野山の総本山である金剛峯寺。
現在の建物は江戸末期に再建された物です。
拝観料は大人500円。
早速中に入ってみましょう。
まずは長い廊下が続きます。
ここは参拝者の休憩所にもなっている新別殿。
二間合わせて約170畳もある大広間です。
また、ここでは参拝者に対してお茶のサービスもしてくれます。
国内最大級の石庭・蟠龍庭(ばんりゅうてい)。
使われている白砂は雲海をイメージしたものだそうです。
弘法大師の甥・真然僧正を祀る真然大徳廟。
真然僧正を祀ってあると判明したのは昭和63年になってからだとか。
台所も見ることができます。
今は使われていないそうですが……。
ちなみに写真の三つの釜で、合わせて2000人分のご飯が炊けるとのこと。
金剛峯寺の次は、高野山の中でも最初に開かれた場所である壇上伽藍(だんじょうがらん)へ。
写真は金堂。
高野山全体の総本堂に当たります。
(内部は撮影禁止・拝観料200円)
金堂の背後には高さ約48メートルの根本大塔があります。
現在の建物は昭和12年に再建され、外壁の塗り替えは平成8年に終えたばかりなので、まるで新築したばかりのように美しいです。
ちなみにこの時、内部では壁画などの修復作業が行われていました。
(内部は撮影禁止・拝観料200円)
そしてこの時点で帰りの特急の時間が迫ってきたので、バスの時刻表とにらめっこした結果、最後は大門を見て帰ることに決定。
他にも霊宝館なども見たかったのですが、せっかく取った特急の指定席を無駄にする訳にも行かず、今回はスルーせざるを得ませんでした。

大門は高野山の入口に建つ高さ25メートルの門で、その両脇には金剛力士像があります。
この日は残念ながら天気が悪かったのですが、ここからの眺めは良いらしく、よく晴れた日には遠くの淡路島まで見渡せるとのこと。
また、大門の近くには願い事を一つだけ叶えてくれる『おたすけ地蔵』があるそうですが、この時は残り時間の都合でそこまでは行けませんでした……。
大門前の道路脇に設置されている温度計。
6月という初夏なのに、午後3時過ぎの気温は16度台です。
私は寒さに強い方なので、この気温でも半袖姿で行動できましたが、そうでない人は標高800メートル以上という場所を考慮しての服装をした方が良いでしょう。
大門からバスに乗って一気に高野山駅まで帰ってきました。
写真はホームの先端から見た風景。
ケーブルカーの線路はかなりの急勾配で、まるでスキーのジャンプ台のように見えました……。
早めに行動したおかげか、割と余裕を持って帰りの特急最終便(午後4時25分発)に乗ることができました。
できればもっと遅い時間(午後6時とか7時くらい)にも特急があれば嬉しいのですが……。
極楽橋駅を発車した直後に撮影した、駅名の由来でもある極楽橋です。
この橋から続く道を登っても高野山へ行けるみたい(女人堂の近くに出るらしい)です。
特急『こうや』の乗り心地はかなり快適で、帰りの特急に乗っている時の記憶は紀ノ川を渡る辺りくらいしかなく、ほとんど熟睡していました。
気が付いたらもう通天閣が見える大阪市内に入っており、慌てて飛び起きて撮影したのがこの写真です。

ちなみに聖地・高野山へ行って管理人の煩悩が浄化できたかというと……それは無理な話というものです。
煩悩あるからこそ人間なのでしょう……たぶん。




     

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