2009年4月10日 吉野山(前編)

今回初めて行く吉野山は、奈良県中部に位置する桜の名所。
下千本・中千本・上千本・奥千本の四つの地域にシロヤマザクラが三万本も植えてあり、その眺めは「一目千本」と呼ばれるほど。
桜の他にも金峯山寺・吉水神社などの名所が目白押しです。




絶好の青空に恵まれた吉野駅に到着。

吉野山へは近鉄電車を使う必要があります。
大阪阿部野橋駅から南大阪線・急行・吉野行きに乗れば、約90分で到着です。
特急を使えば(特急料金500円が別途必要)さらに10〜15分早く着きますが、桜の季節はほとんど予約で席が埋まっているので、急行を使った方が無難かもしれません。
近鉄吉野駅のホーム。
大きな屋根があるので、雨の日でもとりあえずは安心です。
改札を抜けて、駅前に出たところ。
大勢の観光客で賑わっています。
駅から2〜3分ほど歩くと、吉野ロープウェイ千本口駅に着きます。
これに乗れば急な坂を歩いて登らずに済むのですが、ご覧の通り凄まじい行列だったので、ここは歩いて登ることに決定。
坂の入口付近にある、幣掛(しでかけ)神社。
古くから吉野山登山の安全を祈願した神社だそうです。
まずは七曲坂と呼ばれる急坂をひたすら登って行きます。
いきなり厳しい道程ですが、ここに咲いている桜を見れば苦労も吹っ飛ぶというもの。
七曲坂を一気に登るのは難しいので、何度か休憩しながら周りの桜を撮影。
なお、ヤマザクラは開花と同時に茶色い葉が出る品種です。
七曲坂をある程度登ったところで、先程の吉野ロープウェイが通過するのに遭遇。
気が付けば、自分もかなり高い所まで坂を登っていました。
桜と飛行機雲。
天気が快晴で空気が乾燥しているので、飛行機雲も短めです。
七曲坂をほぼ登り切ったところで周囲を見渡すと、まさに絶景!
自分の足でここまで登った甲斐があったというものです。
下千本だけでも相当な桜の本数のようです。
総数三万本は伊達じゃないですね。
七曲坂を登り切ると、道の両脇に店や旅館が建ち並ぶ一帯に出ます。
ここを歩いていると、何だか吉野山ではなくて京都に来たような感覚を覚えました(笑)。
少し進むと、この黒門があります。
これはこの先にある金峯山寺(きんぷせんじ)の総門であり、昔は公家大名であってもここからは馬を下りて歩いたという格式を誇っていました。
ちなみに現存する黒門は1985年、金峯山寺蔵王堂の大屋根大修理に合わせて再建された物です。
黒門からさらに先へ進むと、銅で作られた銅鳥居(かねのとりい)があります。
銅製の鳥居としては最古の物で、今ある銅鳥居は1455年頃に再建された物。
ちなみに、初代の銅鳥居は東大寺の大仏を建立した時に余った銅で作られたという言い伝えがあります。

なお、逆光だったので仕方なく裏側から撮影しております……。
さらに5分ほど歩いて金峯山寺に到着。
まずは仁王門をくぐります。
仁王門には金剛力士像が建っています。
こちらは阿形(あぎょう)像。
そしてこっちが吽形(うんぎょう)像。
阿と吽で万物の始まりから終わりまでを表しているそうです。
金峯山寺の本堂である、国宝・蔵王堂。
豊臣家によって1592年に再建されました。
蔵王堂と四本桜。
この四本桜のある場所は1333年、鎌倉の軍勢に攻められた後醍醐天皇の第三皇子・護良(もりなが)親王が、最後の酒宴を開いた所だそうです。
金峯山寺の次は、吉水(よしみず)神社へ。
金峯山寺から5〜6分歩くと、道の左側に鳥居が建っているので、それが目印です。
吉水神社の創立は西暦650年頃で、そして南北朝時代は、後醍醐天皇を初めとした南朝の皇居になった場所です。
神社に入ると何やら人だかりができていますが、それもそのはず。
この吉水神社の境内からは有名な『一目千本』の桜を見ることができるのです。
ここからは中千本の桜が一望でき、まさに『一目千本』!
かつて豊臣秀吉も、この場所からの眺めを見て「絶景じゃ!」と評したとか。
山の上の方を撮影。
下千本の桜も凄かったですが、中千本の桜はさらに一枚上手。
吉野山に来たら、これは絶対に見ておくべき景色です。
望遠レンズで最大まで拡大して撮影。
もし風が吹いたら、物凄い桜吹雪が見られそうですね。
桜を堪能した後は、吉水神社の書院へ。
鎌倉時代に建てられた日本最古の書院造りの建物というだけでなく、南朝の皇居となり、源義経と弁慶が追っ手から逃れてここに隠れ住んだり、豊臣秀吉がこの庭で花見の宴を開いたりと、まさに歴史的な場所です。
歴史的な場所だけあって、当時を偲ぶ物が沢山あります。
これはかつて、弁慶がここに座って秘策を考えたとされる『弁慶思案の間』。
かつて後醍醐天皇が座った玉座。
後年、豊臣秀吉が花見に訪れた際に修理されており、その桃山時代の風格を残しています。
源義経が着用した鎧、『色々威腹巻』。
重要文化財に指定。
弁慶が使用した籠手。
静御前が使った鎧(の一部)。
弁慶七つ道具の一つ、『武装槍』。
棘がたくさん付いていて、もしこれで殴られたら軽く死ねそうです……。
弁慶が手で石に釘を打ち込んだという『弁慶力釘』。
それが本当なら凄い怪力ですね。
その釘はどこにあるのか……と探してみたら、石の中にそれらしき物を発見。
賽銭箱が無くても、ついつい賽銭をあげてしまうのは、日本人の面白い所(信心深さ?)ですね。

この後も上千本・奥千本を目指すべく、まだまだ吉野山を登ります。

(後編に続く)




          

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