2007年10月22日 保津川下り(後編)

水しぶきは食らいましたが、こういうイベントがあってこその川下りと言えるかもしれません(笑)。
保津川下りも、いよいよ後半を迎えました。




全体の半分くらいまで来ると、船頭さん達のポジションが交代します。
前後の移動は細い船べりの上を歩きます。

ちなみに船頭さん達の構成は基本が三人一組で、それぞれベテラン・中堅・若手となっており、技術の継承がスムーズに行われるようになっています。
また、水量の多さや流れの激しさによっては四人や五人で動かすこともあり、常に状況の変化に対応した編成で船を操っています。
ここまでは激流の区間が何度も続きましたが、ここからしばらくは穏やかな流れが続きます。
川幅も場所によってかなりの違いがあり、幅の広い所では大きな池の上を進んでいるような感覚を覚える時もあります。
振り返ると、後続の船がかなり近くまで接近していました。
ちなみに三人いる船頭さんの内、一番前が竿を担当、二番目の人がオール(櫂)を担当、そして一番後ろの人が舵を担当しています。
保津川の激流の中には数多くの巨岩が点在しています。
これはその中の一つの孫六岩。
出発点からちょうど8kmの所にあり、ここが保津川下りの中間地点になっています。
激流の中で岩を突いて進行方向を調整する竿ですが、何十年にも渡って多数の船が通過した結果、岩を突くポイントが固定化されて岩に穴が開くほどになってしまった場所がいくつかあります。
写真はその内の一つで、『竿の跡(Hole of Pole)』としてその場所には看板まで設置されています。
橋の上にホームが存在する珍しい駅、JR保津峡駅の真下を通過。
ちなみにトロッコ列車からこの駅を見た風景は→こちらです。

これで全行程の約3分の2を過ぎたことになります。
JR保津峡駅を過ぎると、続いてトロッコ保津峡駅が右手に見えてきます。
すると、その駅前に架かる吊り橋の下に何やら人影が……?
それは、保津川下りの記念写真を撮る担当の人でした。
この後、この時撮った写真を購入する申し込み用紙が船内に回されます。
ちなみに私はせっかくなので一枚買いました。
後日に送られてきた写真の出来栄えは見事だったので、保津川下りの記念品が欲しい人は買ってみることをおすすめします。
トロッコ列車が必ず停車する鉄橋の下を通過。
残念ながらこの場所でトロッコ列車と遭遇することはできませんでした。
もしトロッコ列車がいれば、5月の時とは完全に逆の立場を味わえたのですが……。
激流の中で使う他に、大きく船の向きを変えたい時にも竿は使われます。

これ以外にも船頭さんは竿を使って、ある場所である芸当を披露するのですが、それは実際に乗ってみてからのお楽しみです。
その時は拍手の用意を忘れずに(笑)。
運良く野生の猿と遭遇。
船が近付くと、そそくさと逃げていきました。
岩に紛れて見づらいですが、写真の中央からやや右下に写っています。
ここが最後の激流。
保津川下りも、いよいよ終盤です。
最後の激流を抜けた先には、何だかどこかで見たことのある船の姿が……!
これまで何度となくその姿を見せていたあの『屋台船』が、ついに私の目の前に……!
いつもながら見事な合体を今回も見せてくれました。
しばらくすると分離して後方の船へと移っていく屋台船。
今回もかなりの人が何かを買いましたが、私はこの後に例の豆腐がおいしい店へ行く予定があったので、何も買わずに何とか我慢。
この屋台船からの誘惑を断ち切るには、やはりかなりの精神力が必要のようです(笑)。
屋台船が合体した後は、後続の船もこちらに合体して二隻連結状態になります。
おそらく二隻の船の距離を縮めることによって屋台船の移動距離を最短にし、その分だけ品物を長く売ることができる……ということを考えての措置なのでしょう。
何という商売上手な!(笑)
屋台船が去ると同時に前方の視界も開けてきて、遠くに渡月橋が見えてきました。
全行程16km・約2時間の船旅も、あと少しで終了です。
嵐山の着船場に到着。
終わってみれば、あっという間の2時間でした。
乗客の我々が降りて、船頭さんだけになった船。
乗客が座っていた椅子を片付けるなど、到着した後にも色々と作業がある様子。
そして再び船を上流へ戻すために、渡月橋近くの船を陸揚げする場所へと向かいます。
昔は川沿いをロープで引いて出発地の亀岡まで戻していたので、かなりの重労働だったようです。
ラストは夕暮れ近付く嵐山の空。
保津川下りは、のどかな雰囲気とスリルを感じる瞬間が絶妙に合わさった、何度乗っても飽きさせない船旅と言えるでしょう。
今度は別の季節に乗ってみたいものです。




     

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