2007年12月2日 紅葉の京都(その4)

今シーズンラストの紅葉は、再び嵐山から嵯峨野へ。
最後の最後に思わぬ寄り道もありました(笑)。




改めて嵐山からスタート。
今日も良い天気に恵まれました。
紅葉に染まる嵐山。
12月に入って川の上は一段と寒そうですが、ボートも沢山出ています。
二日前と同様、竹林の中を通って小倉池へ。
今回は早めの時間に来たので日当たりも良好。
写真は小倉池と御髪神社、そして日の光を浴びる紅葉。
小倉池からまっすぐ進んで左へ曲がると常寂光寺、右→左と曲がると落柿舎が見えてきます。

落柿舎は松尾芭蕉の弟子、向井去来の草庵で、松尾芭蕉自身も三度ほどここを訪れて滞在したそうです。
なお、落柿舎は2008年12月から2009年9月末までは修復工事に入っているため、その間は拝観できません。

ちなみに入園料は200円。
落柿舎の本庵。
ここを訪れた人が一句ひねって投句するための投句箱が設置されています(写真下・中央)。
本庵の玄関付近を撮影。
何だか中から当時の人がひょっこり出て来そうな雰囲気です。
落柿舎の庭に成っていた柿。
普段よく見る柿とは少し違って、丸っこい形の柿です。
落柿舎の次は祗王寺へと向かいます。
祗王寺は落柿舎からは歩いて10分ほど。
写真は祗王寺の入口付近。
大覚寺との共通拝観券も売っているので、大覚寺にも行く予定があるのなら200円お得になります。
祗王寺の草庵。
『平家物語』にも登場する祗王寺は、一度は廃寺になりますが、明治28年に京都府知事が別荘を寄付して再建されました。
祗王寺の庭。
普段は苔に覆われた庭ですが、この時期は一面紅葉に染まります。
役目を終えて落ちた紅葉も、また良し。
祗王寺の次は大覚寺へ。
途中、のどかな田園風景も見られます。
大覚寺までは徒歩約20分。
共通拝観券の裏に簡単な地図が載っているので、それを参考にしてください。
そして大覚寺に到着。
大覚寺は西暦876年に創建された寺で、1392年にはこの寺で南北朝の和解が行われました。
また、歴代の天皇や皇族が住職を務めるなど、皇室ゆかりの寺院となっています。
鳳凰の間には、なぜか洋風のテーブルと椅子が……。
宸殿(しんでん)の前には右近の橘と、左近の梅があります。
今は左近と言えば桜ですが、昔は梅が使われており、大覚寺ではその古式に乗っ取って左近の梅が置かれています。
当時の生活が再現されている場所もあります。
いつも思いますが、良く出来た人形は今にも本当に動き出しそうに見えてきますね。
いつの時代かは分かりませんが、昔の衣装も展示。
見たところ打掛という種類の着物のようです。
主に寒い季節に着る服で、現代でも結婚式で新婦が着ることがあります。
これは勅封心経殿。
嵯峨天皇を初めとして、後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格天皇が書いた写経が納められています。
現在の建物は大正14年に再建。
大覚寺と言えば大沢池を忘れてはいけません。
普段はタダで見ることができますが、今回のように観光客が多い紅葉の季節などは料金を取られることもあるようです。
大沢池の眺めと、池で泳ぐ鴨たち。
想像以上に広い池です。
周囲の長さは1km。
大沢池の北側には名古曽(なこそ)の滝跡もありますが、残念ながら私が行った時には水が流れていませんでした……。
池の近くで多数見られた巨大張り子(?)。
写真のように立てられているものもあれば、地面に置かれているものもあり、大きさも様々でした。
大沢池の紅葉。
この辺りが一番赤く染まっていました。
12月に入り、この年の紅葉もそろそろ終わりを迎えようとしています。

この大覚寺で2007年の紅葉も見納めのつもりだったのですが……。
大覚寺から渡月橋方面へ戻る途中、私にしては珍しく道を間違えてしまい(笑)、迷っている内に偶然にも清涼寺の近くまで来る結果になりました。
当初の予定にはない寄り道となりましたが、これも何かの縁と思って境内を見て回りました。
法隆寺夢殿を模した聖徳太子殿。
この辺は結構紅葉の穴場かも……。

この他にも1980年に大阪城の地下から発掘された豊臣秀頼の頭蓋骨を納めた首塚などがあります。

かなり広い境内なので、他にも見所はたくさんありそうでしたが、拝観終了時間(午後4時)ギリギリにここへ来たので、拝観料(大人400円)が必要なエリアへ行くのは断念。
また後日、改めて来ることにしましょう。
ラストは紅葉の下にたたずむ人力車。
紅葉の季節は終わっても、観光都市・京都では一年中人力車が走り続けます。
いつか一度は人力車に乗ってみたいものですね。

また来年も見事な紅葉が見られることを期待しつつ、2007年の紅葉の京都とはこれでお別れです。




     

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